まちを通る風を感じて

防災・復興まちづくり研究者,市古太郎のBlog

過去Log2006/3月〜2011/3月


2011/02/27(日)韓国防災学会交流セッション @ソウル

 韓国防災学会の国際交流セッションに,日本の地域安全学会からの派遣として出席.  葛飾での大規模水害に対する備えについて,報告をおこなった.  ソウルは3年ぶり2回目だったが,この時期にしては暖かく,発表も含めて大変よい刺激になった.  漢江にかかる橋梁のデザイン,それぞれゲート性があって,高速から眺めただけであるが,興味深かった.


2011/02/11(金)中野区行政外部評価公開フォーラム

 中野区の行政評価委員を仰せつかって2年目.公開フォーラムを開催することになり,コーディネーターを務めさせていただいた.  事前の打ち合わせも踏まえ,「事業仕分け」と「中野区行政外部評価」の違いについては,うまく会場と共有できたように思う.ワタクシなりの表現で言えば「ディフェンシブな場」か「クリエイティブな場」か,という相違が確かにある.  区長も交えたパネルディスカッションを通して,印象的だったことは3点.  第1に,行政外部評価の取り組み,特に「ヒアリング」自体が「仕事の現場」になっている,という認識_  第2に,区役所内の内部評価等を通して,担当者が気づきつつある点を,区民委員も含めた外部評価という「場」を通して明確に認識し,職場として改善していく一歩になっている,ということ.  第3に,行政外部評価の視点としては,常に「コスト」の視点が入ってくる訳だが「儲からなくてもやっていくべき仕事がある」という,自治体の仕事として,考えてみれば「あたり前」の視点とのバランスの重要性.    外部評価の意味を確認する上で,よいフォーラムになったように思う.


2011/01/25(月)避難生活期の共助のしくみWS@町田市中央公民館

 「町田市防災リーダー講習会」の運営支援をさせていただいて今年で2年目.  NPO 阪神高齢者・障害者支援ネットワ-ク理事長の黒田裕子さんをお呼びして,被災地における高齢者・障害者支援の実際をお話しいただく.看護の視点からの,被災地への温かいまなざし.被災地も黒田さんはじめボランティアと交流し,支えたこと.改めて,被災地支援がどれほどチャレンジングな「営み」であるかを痛感した.  午後は,50人規模のWS形式での講習会.私は「避難生活期に地域で取り組む福祉サービス(支え合い)を考える」班のコーディネーターを務めた.看護学を専門とする首都大都市システム学域博士課程のNさん,町田市社会福祉協議会のメンバー,そして黒田さんについていただいたので,いかに.参加者も問題感心に答えられる応答が作れるか,ここぞという内容で深掘りできるかが,私のミッションだった.  現在,記録などを参考に報告書を作成中なので,甘くなる自己評価はさけておこう.  個人的に気になったのは「団地開きから30年以上がたち,地域住民も町会活動できるメンバーも高齢化し,活動を続けること自体が困難」という地域の実情.でも,昨年から町田市住宅マスタープラン策定に携わって痛感したのだが,町田市の住宅は増えており,新規流入世帯もある.子育て世帯の流入はあるのだ.問題は「地域」という場をどのような機能として意味づけできるか,ということ.  学生に授業で地域防災の制度と活動事例を教えても.「参加者は高齢者が多く,意義は理解できるけど,若者の参加は難しいと思います」という応答が大多数であることも連想しながら,柿島家の馬肉と焼酎シロップで,ほろ酔い気分で家路についた.


2011/01/17(月)大学入試センター試験と災害研究研究

 2日間,大学入試センター試験の監督業務に従事.  災害科学に関連して,地学,地理B,公民(現代社会)から出題がなされていた.  参考に抜粋をつけますね(リンク).  地学の問題は「地震学」に関する一般知識,地理Bはアチェ・ニアス津波災害に関する知識,公民の問題は,直接的に「災害」と関わるものではないが,ボランティア活動に従事するジェンダーおよび年代構成について,災害時のボランティア活動を見通す上で大変興味深い  翌日の学部講義でさっそく紹介しておいた.後期の授業の要点である.Atリスク グループのR=H×Vを説明する上で,またとない「素材」となった.すなわち,地震学的アプローチ中心のハザード(Hazard)解明と,社会科学的(地域協働科学的)アプローチが必要なバルネラビリティ(Vulnerabilityサーベイを総合的に見据え,戦略を立てる学問としての災害科学の位置取り,として.


2010/12/26(日)事前復興まちづくりのアップデート@東京都庁

 東京都都市整備局主催の「都市復興シンポジウム」(2010/12/22)にて,パネラーとして,私なりの「事前復興まちづくり」について,「いま,ここ」の状況を話題提供させていただいた.  シンポ自体は,中越から稲垣さんをお呼びして,中越および中越沖地震における「地域協働復興」の基調講演があった.PDの冒頭で私は,次のような感想を述べさせていただいた.  地場野菜産直所の設置に象徴されるように,「くらし」と「なりわい(Livlihood)」の近さによって,一度,相互の信頼関係が築かれ,目標が共有できると,両者が乖離した東京よりもダイナミックな動きとなって復興が進んでいく,ここに新潟発の地域協同復興のカタチがあるのでは,という強い印象を受けました.  その後,私なりの「事前復興まちづくり」に触れ,練馬での事例(貫井,桜台,復興マニュアル,そして防災まちづくり事業との連携,といった一連の流れ)を紹介.  「現場」の関係各位がどう最新の段階を受け止めており,そして次への展開を考える上で,よい場となった.来年年明けからも,町田を手始めに,自分にできることは,うっかりすることなく,コミットしていきたい,と思ってます.


2010/12/19(月)AIJ住宅系研究報告会 スマトラ島西部地震住宅再建調査報告

 建築会館で開催された第5回住宅系研究報告会で,スマトラ島西部地震からの住宅再建についての報告をおこなった.発表時間を2分ほど長く勘違いしており,肝心の現地調査を端折ることに・・反省.  フロアから地域文化シンボルでありエスニシティでもある「ミナンカバウ」の影響もあるのでは,といった指摘もいただく.  また有賀先生から,次のようなコメントをいただいた.  Pokmas(住宅再建近隣組合)について,自分もスーダンの内戦からの復興において「ナフィアー」という地縁組織に対して,海外からのPlanning的な視点からの支援で,住まいや集落の再建を進めていった事例を思い出しました.そういった各国にある伝統的な地縁ネットワークに対して,いかに国際機関が提案するPlanning的なしくみを統合させていくか,そういった理論化が可能なのではないでしょうか.  それに対して,次のような応答をさせていただいた.  災害や内戦からの復興理論としての展望ができそうな気がしてきました.すなわち,災害復興論において,地縁組織を単位にPlanningをすすめ復興をはかる方法論,それは,阪神淡路の「復興まちづくり協議会システム」が世界的に見ても,一つの大きな貢献事例だと認識していますが,それだけでなく,私が直接知っている限りでも,1999年台湾集集地震における「社区総体営造」といった共通事例があるように思います.言い換えれば,共に大きな被害を被った地域コミュニティにおいて,相互に共感し,サポートするといった新しい関係性に対して,Planningという視点でいかに「住まい」と「まち」の再建を組み立てていくか,という理論化は日本の研究者だからこそ論立てすることが可能なのではないか,と感じました.    そして建築学における「自分の立ち位置」も再認識できる機会となった.すなわち,1/100スケールの空間論への造詣をこれからも深めつつも,空間に加えて,人,情報,資金といった様々な資源を,Planningという視点から,構想し,統合させていく,という意味で


2010/11/22(月)実寸シェルター・ワークショップ@練馬区貫井

災害時のシェルター設置を想定したバンブーシェルターProjectのインスタレーション練馬区貫井がらくた公園で実施しました.なんと,1年生から大学院生まで,総勢46名の学生が参加.[当日flyer] 僕は,Projectの進行管理とロジを担当するかたわら,学生のエスキス&実寸試作にも絡ませてもらった.バンブーシェルターの展開に大きな手応えを感じることができた. 参加した学生・院生のみなさん,ごくろうさま. 青木先生,高木先生,猪熊先生,雨宮先生,大変おつかれさまでした. お立ち寄りいただいた,専門家・研究者の方から,お褒めの言葉をいただいた. その後の打ち上げでは,私も何年かぶりに,学生と痛飲. 大変楽しい一日のシメ,となった. 産経新聞でも当日の様子をご紹介いただきました.


2010/11/15(月)都市計画学会大会@名古屋大

 名古屋大学で開催された都市計画学会大会に参加.  「荒川下流左岸地域におけるハザードマップ認知と広域避難率の向上に関する研究」,言い換えれば,荒川洪水ハザードマップが広域避難に有効か,という調査の報告をおこなった.  いただいた質問から,自分が伝えたかった点は70%くらいは伝わった気がしてホッとしている.  「かわ」と「まち」に関する研究テーマは,横浜市役所時代から「いつかは全面展開したい」と考えているテーマ.今回の論文発表を一つの契機に,さらに進めていきたい,と思っている.  ところで,名古屋大学は実はワタクシの母校.  すっかり校舎は建て変わり,地下鉄も開通し,中央図書館に「スタバ」が入っていたりと,変わったなぁ,という印象だが,北部生協食堂の「味噌カツ定食」を食べて,「あぁ,そうそう,このロースよりさらに脂がのったカツに味噌が合うんだよな〜」と満足,ライスLを片手にもりもり食べている男子学生を見て,当時の自分の姿とカブッて見え,微笑ましかった.


2010/10/17(日)災害復興学会大会@神戸

 神戸大で開かれた日本災害復興学会の大会に参加.  NHK大阪支局のKさんの四川地震の報告が大変刺激的だった.曰く,客観的事実としての「リアル」と意味や感情を含む「リアリティ」の区分けである.  私は次のような質問をさせていただいた.  「リアリティ」は個人(Individual)リアリティと集団(Group)リアリティに分けて論立てした方がよいのではないか.それは,十人十色の個人の意識や感情が,「メディア」によっていかに「集団の意識や感情」に生成されるのか,という問題系になる.さらに,新潟の復興支援員のように,被災地に入っていって,被災者と「ビジョン」というリアリティを生成していく取り組みを,復興研究者の立場として「ポジティブ・メディア」とするならば,テレビ局をはじめ主立ったマスコミメディアが,事例報告されたように,なぜ,ネガティブ・メディアになってしまうのか,その差異の意味が気になる.  ソジャの言う「物理的空間/精神的空間/社会的空間」のカテゴリーにも通底する面がある.  自分のフィールドである,事前復興まちづくりの実践は「ポジティブ・メディア」になっているだろうか.


2010/10/14(木)震災復興キネマとトーク

 建築学会にて,佐藤滋会長のリーダーシップの下,青池憲司監督の「阪神大震災 再生の日々を生きる」および,新宿区大久保と練馬区桜台での震災復興まちづくり模擬訓練の報告映像の鑑賞会とトークの夕べに出席.  トークに加わらせていただき,青池監督の映画で改めて印象に残った点を二点ほど,述べさせていただいた.  一点目に,復興まちづくりに被災者が取り組むことを可能にする重要条件として,「発災から引っ越しを繰り返さなくてよくするための仮住まい支援」があること.「もう引っ越ししたくない」「区画整理で自宅再建が何年かかるかわからない,では話にのれない」といった語りが印象的だった.  二点目に,「細街路ではなく『路地』というコトバ」がもつ意味の可能性である.専門家が用いる「細街路」とか「狭隘道路」といったコトバがいかに,まちづくりの将来像に関する住民のイマジネーションを閉ざしているか,地区計画により実現させたセットバックによる「路地」の形成プロセスを観て,強く感じた.  また青池さんが「僕は,個人や家族の物語ではなく,集団を撮りたかった」とお話しされていたことが印象に残った.映画は地域でまちづくりに取り組む集団の「意味」にあふれていると思う.その後,佐藤先生と青池さんに加えて,映画を撮影したカメラマンのCさん,早稲田の若手建築家と一献.大変刺激的な夜だった.


2010/10/04(月)八王子市子安町第二回地域協働復興訓練

 7/4(日)に引き続き,第二回目の地域協働復興訓練.  第一回の振り返りを行い,柏崎比角地区での避難生活支援に地域で取り組んだ事例について紹介した後,グループワークに.  僕は「子安公園は町の中心.災害時の子安公園の使い方の方針を決めておこう」というグループワークを担当させてもらった.  写真にあるような「二階建てピロティ形式の仮設住宅」および「二カ所の緩傾斜親水護岸により,水利用のアクセスと平常時の公園の魅力を高める」の2つアイディアが出された中でもユニークだったと思う.  年末をめどに,丁寧にまとめをおこないたい. koyasu2nd_01 koyasu2nd_02


2010/09/12(日)建築学会大会@富山

 富山大学で開催された建築学会大会に参加.  スマトラ島西部地震の住宅再建の取り組みについて報告した.10月に向けた調査へ,よいステップとなった.  また低炭素関連とストック改善(建築社会システム研究委員会)のPDに参加.どちらも,研究展望を自分なりに考える上で,大変刺激的だった.  高岡での夜は,兵庫県立大のY先生,京都のSさん,広島大のT先生と一献.おそらく二度とない顔合わせだったが,共通の話題も多く,久しぶりに楽しい夜だった.   r0013227  r0013228


2010/08/27(金)バンブーシェルター試行

 竹で災害時の「シェルター」を作る「バンブーシェルター」づくりが,軌道にのってきた.中林研究室と玉川研究室の院生を中心に,炎天下の中だったが,作業に取り組む一日をつくることができた.  ワタクシ的にはこういった具体の「オブジェクト」をつくる機会は,あまり持ててこれなかったが,やってみると楽しいし,奥の深さを感じる.  院生メンバーもにぎやかに,あれこれとアイディアを出し合って,カタチのイメージが広がっているようだ.  まずは今年度は,竹の構造的(おおよその降伏条件など)および構法的(接合方法など)手応えが得られれば,と感じているところ.  実施日は11/21(日)です.中玉OBOGのみなさん,是非,遊びに来てください.場所は練馬区内です.近くなったら,お知らせします. r0013164 r0013189


2010/07/24(土)板橋区大山地区 都市復興図上訓練

 今年も東京都都市整備局主催の都市復興図上訓練をお手伝いさせていただくことになった.  第一線の市区職員の方と話をする機会も得ることができ,大変やりがいのあるProjectだ.  今年度の対象地域は,板橋区大山地区.そう,あの「ハッピーロード商店街」である.この商店街を斜めに突き抜ける格好で都市計画補助26号線が計画決定されている.  さまざまな計画論の頭出しが,各班でなされ,例年になく,手応えを感じている.事務局として,精一杯働きたい. r0012932 r0012946


2010/07/05(月)八王子子安町での地域協働復興訓練

 再開発が進む八王子駅南口に隣接する子安町での地域協働復興訓練がスタート.子安町は,駅前の利便性,地区を囲む幹線道路沿いの郊外型店舗がありつつも,生活しやすい,閑静な住宅地である.  地域組織も積極的に訓練を受け止めてくださり,よいスタートが切れた.  私は子安公園の災害時利用を考えるチームを担当させていただくことに.  山田川に隣接し「河川との関係性」も含めて,手を動かしたくなってきた. r0012884 r0012887


2010/06/20(金)生活協同というつながりの可能性

 生活クラブ生活協同組合・東京で「脱・無縁社会」をテーマとした連続講座の1コマとして,大地震時の避難生活期の様子を中心に話をし,首都直下地震にどう備えるか,問題提起をさせていただいた.
 震災時に西宮の拠点に「生協都市生活」の理事長で,ボランティア活動をされた前川さんから,大変ユーモアあふれる,刺激的な話をお聞きした.
 話をしていて,また会場の雰囲気から「地に足がついている感」,労働とは異なる人間性の本質としての「ワーク」(アーレント)がそこにあるような力を感じた.
 生活クラブ生活協同組合事務局のみなさま,ありがとうございました.
 


2010/05/22(土)「建築はどこにあるの?」

 国立近代美術館で開催されている「建築はどこにあるの?」を展覧する機会を得た.  7人の個性的な建築家が発信する7つのベクトルの「交差」と「異なり」.この7つのベクトル,7次元的な広がりの中から「建築のいま」を見る人がそれぞれ感じ取るのだろう.  個人的には,エントランスにある「寛容な,いきいきとした空間を作り上げたい」という意図をもったバンブーオブジェ,「太陽の運行と室内空間から現れるもの」というコンセプトで光と空間の関係性を身体的に感じさせるインスタレーションに,大変刺激を受けた.  全くのおまけですが,所蔵品展としてセットで入れる4階の「休憩室」からの「丸の内」の眺め,おすすめです. seven_arch02 seven_arch01


2009/05/18(火)

 高見澤邦郎先生の特別講義「東京の木造密集市街地」に参加させていただいた. 高見澤邦郎先生の特別講義「東京の木造密集市街地」に参加させていただいた. 産業革命期のイギリスの住環境の劣悪化,日本の大正期内務省による7つのモデル的住宅地区改良事業,神戸での賀川豊彦の活躍,そして戦後の戦災復興期の住宅問題としての対応の側面,1980年前後から本格化する「防災まちづくり」,1995年阪神・淡路大震災を契機とした計画論的展開,といったパースペクティブをお話しくださった.

 こういった長期スパンのパースペクティブは,たぶん,今のワタクシに最も不足している側面だろう.でも,こういった学術史を常に意識して現実に対峙できていないのは,「研究者としては野蛮だよ」と日大勤務時代の恩師からは叱られそうだ.
ところで,会場でも質問させていただいたのだが,

・木造密集市街地という用語は,いつ,だれが,どこで,使い始めたのか?
 1980年前後ということ,いくつかの説は話題になったのだが,正確なところはわからない.後日,首都大の事前復興計画研究会メンバーのお茶会でも話題にしてみたが,「ズバリ」という解答は得られていない. もし何かおわかりの方がいらっしゃれば,是非,ご連絡ください.
 なぜ,そんなことにこだわるのか,と言えば「木造密集市街地」とは「事業用語」であり,この言葉で「くくってしまった」が故に,事業が「フタマワリ」くらいした現在,「木造密集市街地に取り組む熱意」が各セクター(特に区役所とプランナー)ともに減退してしまった,と思うからである.たとえば「路地まち」といった「生活する上での価値」を織り込んだ表現に変えていってはどうだろうか.


2010/04/27(火)2010年度もスタート

 インドネシア・パダン沖地震オーソライズされた名称は,スマトラ島西部地震だそうです)の報告会(建築学会主催)で,3月調査の報告をおこなった.  被害調査報告会がメインで,構造系研究者の問題関心と方法論が率直に聞けて,大変興味深かった.  これに対して,復興研究における問題関心と方法論のポイントはどこにあるのだろう,と自問.  被災地に寄り添って「上から目線でなく」というスタンスが,現場で事実を吸収する上で不可欠なことは経験的に感じているのだが,それが強靱な,打たれ強い理論に結びつつあるのか,と問われると,なかなか難しい.  ともあれ,インドネシアのフィールドは少し腰を落ち着けて取り組みたい,と改めて思った.  最近恒例ですが,発表資料をしばらく期間,下記に公開いたします.また,9月の建築学会大会でも報告を予定しておりますので,そちらも是非どうぞ.  2010/4/19建築学会 2009年ジャワ島西部地震スマトラ島西部地震 被害調査・復興調査報告会  スマトラ島西部地震被災半年後の復興状況と復興計画 aij_2010april_i01 aij_2010april_i021


2010/04/20(火)

 インドネシア・パダン沖地震オーソライズされた名称は,スマトラ島西部地震だそうです)の報告会(建築学会主催)で,3月調査の報告をおこなった.  被害調査報告会がメインで,構造系研究者の問題関心と方法論が率直に聞けて,大変興味深かった.  これに対して,復興研究における問題関心と方法論のポイントはどこにあるのだろう,と自問.  被災地に寄り添って「上から目線でなく」というスタンスが,現場で事実を吸収する上で不可欠なことは経験的に感じているのだが,それが強靱な,打たれ強い理論に結びつつあるのか,と問われると,なかなか難しい.  ともあれ,インドネシアのフィールドは少し腰を落ち着けて取り組みたい,と改めて思った.  最近恒例ですが,発表資料をしばらく期間,下記に公開いたします.また,9月の建築学会大会でも報告を予定しておりますので,そちらも是非どうぞ.  2010/4/19建築学会 2009年ジャワ島西部地震スマトラ島西部地震 被害調査・復興調査報告会  スマトラ島西部地震被災半年後の復興状況と復興計画 aij_2010april_i01 aij_2010april_i021


2010/03/06(土)

 2009/9/30に発生した地震により今世紀に入ってだけでも三度目の大地震の影響を受けたインドネシア.9.30の地震では西スマトラ州のPadang Pariaman県の山間集落を中心に大きな被害が生じた.  長期的なフォロー調査を意図して,今回,1週間の日程で現地調査をおこなった. p1000170 p1000067


2010/02/18(木)豊中市庄内地域現地訪問

 豊中市出身の院生が中心となって,豊中市庄内地域における「防災まちづくり」40年の取組みを組織・建築・知恵の「継承」という視点から調査を進めている.
 庄内地域は1972年の「再開発基本計画」を嚆矢として,法制度化に先駆けて「修復型まちづくり」の先頭ランナーだった地域.「まちづくりの学校」とも呼ばれている.
 今回,いわゆる「文化住宅」が継承されつつも,共同建て替えや生活道路整備に伴う沿道建物更新が進む地域を現地踏査し,地域の協議会の初代会長さんに話を伺うことができた.地域リーダーレベル,市の都市計画担当レベル,専門家レベルで,しゃべっている言語が異なっているようで,庄内地域への想いは共通している点に感銘.
 協議会会長のみなさま,豊中市市街地整備室のみなさま,お忙しいところ,本当にありがとうございました.がんばってくれた院生諸氏にも感謝.

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2010/02/07(日)豊島区上池袋地区復興まちづくり訓練最終回(第四回)

 2009年10月から約5ヶ月にわたって取り組んできた豊島区上池袋地区の復興訓練も最終回.最終回では今年ブレイクすると思われる「ワールドカフェ」方式で訓練を実施した.具体的には「すすめ方商店」「仮設市街地本舗」「まちづくり工房」「くらしサービス社」「復興なんでもカフェ」というテーマ別のカフェを時間を決めて参加者が訪問し,意見を集約していく,という方式.  僕は「すすめ方商店」を担当させていただいた.論点としたのは,

  1. 地域復興協議会の大事な仕事は?(行政との窓口, 計画提案 ,広報,被災者支援,・・・)
  2. 上池袋地区の復興協議会の構成は?(全体、町丁目別・町会別、事業別等の関連)
  3. 復興協議会の準備はだれがどこで始めるか?(震災救援センター、まち協、町会、区のよびかけ等)

 特に1点目のテーマについて,かなり本質的な意見が集約できたと思う.その結果は3/14に予定されている「報告会」までに整理する予定.  r0011632.jpg r0011636.jpg


2010/02/01(月)

 ちょっとした縁があって,首都直下地震における東京港の対応,果たすべき役割について考える場を得た.基本的にはBCPで対応すべき分野という印象だが,都市復興との関係で,事前復興的な考え方が有効なこともありそうだ.  まずは現場調査が大事,ということで,大井埠頭京浜運河—天王洲運河,および豊洲—東雲—辰巳あたりを歩いてみた.圧巻だったのは八潮パークタウンから大井埠頭を眺望した写真,  湾岸道路/首都高湾岸線/JR新幹線大井車両基地JR貨物ターミナル駅大井埠頭  が一望である.まさに都市の大動脈,という印象を受けた.  r0011492.jpg r0011524.jpg
 以下,つぶやき.

  • 点/線ではなく面という視点で考えることが不可欠.
  • 八潮パークタウンから港方面:湾岸道路/首都高湾岸線/JR新幹線車両基地JR貨物ターミナル駅大井埠頭  →物流の大動脈
  • 京浜運河の災害時利用  →大井.青海埠頭間の水域は,圏外物資搬入用で占有(大型船)されるのでは(?!)
  • 集合住宅居住のボリューム  →八潮パークタウンには,小中学校,品川区出張所などがあり一つの生活圏.●●世帯/●●人(2005年国勢調査)  →応急対応・避難生活対応は地元区であっても,連携して間接的支援が必要な状況が出てくるのでは(インフラ関係).
  • 古い団地(cf.都営辰巳団地)/新しいまち(cf.東雲キャナルコート
  • 海上公園の災害時利用  →仮設住宅/時限的市街地
  • 水際土地利用の転換(倉庫のコンバージョン,ビルへの建て替え)  →神戸東部新都心神戸製鋼製鉄所跡地)  →従前の都市更新トレンドが加速される・・・.
  • 平常時における「まち」と「うみ」もしくは「ひと」と「うみ」の関係が災害時にも利いてくる.  →水に直接触れ合いやすい水辺/見るだけの水辺  →なりわい(生産)空間としての桟橋/消費空間としての水辺

 


2010/01/25(月)町田防災リーダー講習会

  9月の講習会に引き続き,今回は柏崎市社会福祉協議会から大塚さんを講師としてお呼びし,防災講習会のコーディネートをさせていただいた.
 会場の関係で午前,午後の二部構成となったにも関わらず,キャンセル待ちが出るほどの申し込みをいただいた.それに応えるだけのプログラムが準備できただろうか.
 とにかく大雪の中,かけつけていただき,全力投球くださった大塚さんに感謝.発災当日における家族との会話,職場へのかけつけ,ボランティアセンターの立ち上げ,避難所の様子(特に曹洞宗ボランティアの活動が印象的だった)といった点を大変リアルに話していただいた.
 午後のグループワークは,地域参加者に助けられた面が強い.「Yes/No問題ゲーム」の問題づくりにおいて,対象地域の災害時対応スキームにマッチしていたか,そしてその上で課題がクリアーに出てくるような問題設定になっていたか,という点で主催者側としての課題を感じた.もしかしたら「地域の班ごとに実施してもらうよう,問題をつくるワークショップ」という方法もあるのかもしれない.
 大塚さん,そして応援いただいた運営スタッフからいろいろとアドバイスいただき,防災と福祉との連携について,私自身,少し次への手応えを感じることができた.
 町田市防災安全課スタッフのみなさん,専門家チームのみなさん,本当におつかれさまでした.

 


2010/01/17(日)阪神・淡路大震災15周年

 2年ぶりの神戸.
 西宮北口高木地区,鷹取駅からJRより北側を東へ.御管地区,松本地区を歩いた.
 2年前は「やや空地が多いなぁ」という印象をもった区画整理事業区域も,新しく住み着いた世帯による「住みこなし」が進んでいる感想をもった.
 「その場に身をおいて考える」ことの重要性.これを防災復興まちづくり研究の方法論的としてどう定位していくか.その1つの鍵に,ソジャの空間弁証法があるように思われる.ソジャは空間を次のように定義する.
 空間性は実体化された認識可能な社会的所産であり,それは物理的空間と心理的空間の両方を社会化し改変するにつれて形をなしてくる第二の自然の一部となる
 物理的空間と心理的空間,そしてそれを止揚する「社会的所産としての空間」をどうつながりをつけて方法論化していくか.
 15年目の神戸で考えたことは多かった.

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2009/11/22(日)豊島区上池袋 第3回復興まちづくり訓練

 豊島区上池袋での復興訓練も佳境に入り,盛り上がりを見せている.僕自身も大変手応えを感じている.
 第3回は,区役所スタッフが示した「復興まちづくり方針」を軸にグループ作業が進められた.グループワーク結果を平たく言えば「三方一両損」的な調整志向,平たく言えば「きわだって利益を得る人がいないというソリューション」が一つの重要な可能性だと感じた.
 次回は訓練としてはいよいよ最終回,次回も万全の準備で臨みたい.

 


2009/11/16(月)

 長岡での都市計画学会にて,東京都の都市復興図上訓練をWashington DCのUrban InsituteがリードするPerformance Measurementを用いて評価してみた結果を発表. 
 質疑では,担当職員の都市復興に関するPlanning Abilityとはどういうものなのか.仮に「空間ビジョン志向」と「プログラム設計志向」があるとして,図上訓練でターゲットとすべきは,プログラム設計に関する面では,といったコメントをいただいた.この点は,8月建築学会研究協議会での問題提起,10月自治体危機管理学会での報告とも関連する事項.現段階での私の見解を下記に掲載しておきたいと思います.
 東京都の図上訓練については,来年1/15に都庁にて都市復興シンポジウムが予定される予定.東京都の実施経緯や今年度実施対象となった品川区からの報告もなされる予定,です. 


2009/11/03(火)

 大学の先輩である<a href="http://d.hatena.ne.jp/murajilab/">連健夫さん</a>のお誘いで,島根県隠岐の海士町を訪問.障害者の作業所「さくらの家」建設プロジェクトに関するワークショップに参加し,海士町の方々から「離島戦略」について話を伺った.
 まちづくりを考える上で興味深い実践がたくさんあった.
 島の財政危機から,合併せずに,住民と役場が同じ立ち位置で取り組みを進めていること.
 Iターン事業で若い人たちが活躍の場を与えられていること.予算措置,進捗指導,などトータルな支援がなされていたこと.
 発想から連さんへの依頼,そして参加のデザイン,参加の建設まで,苦労をされつつも,それを乗り越えていった経緯が興味深かったです.「作業所」という施設は,その規模(建物自体および関係する方々の人数)から,「参加のデザイン」に向いているのかも,と思いました.すなわち,指導員,作業員,施設マネージャー,利用者といった関係者の意見を,しつらえ等へ反映することが設計条件的に可能だったのでは,と思った.個人宅設計よりも関係者が多く,図書館といった施設よりも関係者が限られている,という規模における「参加のデザイン」は設計論としても可能性がまだまだありそうです.
 参加のデザインが公共施設にて根付いていくために,契約手続き自体のデザインが大事と思った.また,参加のデザインによって進められたプロジェクトについて,契約手続きや関係書類をアーカイブし,必要に応じて参照できると,効率が悪くなることは避けられると思います.個々のプロジェクトにおいて,自治体担当者および関係する専門家が,試行錯誤の工夫をされた智見をもっと活かすべき,と感じた.

 休日のところ,ご案内くださり,また,懇親の場を設けてくださり,海士町のみなさんには本当にあつく感謝いたします.
 是非,学生を連れて,再訪させていただきたいと思ってます.
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2009/10/17(土)

 10/16に柏崎市の市民活動支援課,社会福祉協議会にてインタビュー調査,その後,比角コミュニティセンターを訪問.市民活動支援課では課長さんに地震以前からの柏崎市の市民活動支援の経緯について話をお聞きした.中越沖地震でのコミュニティセンターを核とした避難生活の背景,比角以外のコミュニティセンターでの市役所からみた状況など,全体像をつかむ上で有意義だった.午後に訪問した社会福祉協議会でも,ボランティアセンターの設置と運営をめぐって,非常に生々しい話をお聞きした.
 翌日は中越地震五周年のイベントに参加.主立ったみなさんが元気そうで,ご挨拶をして,栃尾の油揚げを家人のおみやげに買って長岡から新幹線に乗った.
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2009/06/08(月)八王子市上恩方

 八王子市上恩方地区での震災復興まちづくり模擬訓練がスタート  既成市街地とは異なる被害項目,復興シナリオ,そして訓練手法が求められる.  今夜はその1回目.初顔合わせをしつつ,中林先生のイントロダクション・スピーチにもいつになく熱が入っていらっしゃった.  プロジェクトKについてよい感触.竹を伐採させていただく承諾を得た.いよいよ本格始動できそうだ. 2009ongata1st.jpg 2009ongata2nd.jpg


2009/06/01(月)船橋市美し学園

 東葉高速鉄道船橋日大前に広がる都市再生機構施工の区画整理事業地.  この地を訪れたのは8年ぶりだったが,まったく景観が一変.「まちができる」という印象を初めて味わった.  美し学園では「低層住宅地」としてのブランドづくりに成功している.西船橋から東葉勝田台までの東葉高速鉄道沿線沿いでの開発動向と,北習志野で交差する新京成線沿線の住宅地状況を考えれば,その成功の度合いは対照的だ.utsukushi01.jpg utsukushi02.jpg  左の写真は,電線地中化街区と電柱街区が接した街路.右の写真はメゾネット形式の賃貸住宅.  今回はTMU都市と住宅を考える会による研究会に参加.ご案内くださったNPO美し学園倶楽部理事を務めていらっしゃる都立大の大先輩に感謝.


2008/12/26(金)厚木駅前地区の防犯まちづくり

 厚木市の「番屋」を訪問.  厚木市は,「防犯まちづくり」の先進事例として名高い.  これまでの取り組み経緯をブリーフィングしていただいた後,実際のパトロールへ.当日は年に数回実施されている大規模な職員ボランティアパトロールの夕刻であった.  「攻めの防犯」といった勢いを感じた.  atsugi02.jpg


2008/11/07(金)防災めぐろ区民フォーラム

 今年2月から6回にわたり開催されてきた「防災めぐろ区民フォーラム」の最終回.「防災対策に関する提言」を青木区長あてに答申する回であった.  毎回,密度が濃い発言があり,副座長を仰せつかった私自身,大変,刺激的なフォーラムだった.区と企業やNPOで締結する「災害時対応協定」,および,地域組織,各種活動団体,区の3者で締結する「減災地域協定」について,今後是非,実現をはかっていただきたい.  本日の区長と委員との議論を通して,最も考えていたのは,非常時における「リーダーシップ」と「パートナーシップ」のあり方.直載的に言えば「上位下達」の組織原理と,各主体と個人の参加の場を確保した上での「水平的協働関係」をどうバランスよく,機能させていったらよいか,という点だった.おそらく,概念的(理論的?)に考えてもあまりよい回答はなく,個別的に,各地域の特性に則ったしくみ論が不可欠なのであろう.これは現在,復興訓練で関わっている,八王子市諏訪地区,葛飾区堀切地区,そして目黒区で,それぞれ特性があるものになってくるように思われるが,いかがであろう.  座長の中井先生には,時に頭でっかちな私の発言を補足いただいたり,進行について大変的確なリーダーシップをご発揮くださった.区役所の担当課長さん,係長さんも大変だったかと思うが,会議資料(およびその後の議事録,実はこれがすばらしかった)について全部直営で準備いただいた,心より感謝申し上げたい. meguro01.JPG


2008/11/30(日)葛飾区堀切地区震災復興まちづくり訓練

 先週の八王子市諏訪町に続き,今週は堀切菖蒲園や下町グルメで魅力的な葛飾区堀切地区にて震災復興まちづくり模擬訓練に参加.堀切における私の担当は,訓練用被害想定の作成と当日のファシリテーター.被害想定で言えば,八王子や練馬と異なり,内閣府や東京都による東京湾北部M7.3の被害像をしっかり見据えることが大事.

 ファシリテーターについては,毎回のことながら,あがってしまい,わかりづらい説明になってしまった面があり,反省.柏崎の復興に従事されている若手研究者に興味深い話をしてもらい,よいスタートになった.木造建築の耐震改修をテーマとする博士課程の院生の参加もあり,今後の展開が楽しみな訓練.


2008/10/27(月)八王子市諏訪町での地域協働復興訓練

 八王子市諏訪町の自主防災組織、市の都市計画室、防災課と大学とで共同開催している全3回の訓練の2回目.  2回目は,住宅が被災した場合のすまいの再建を考えるグループと延焼被害が発生した場合のすわの道の再建を考えるグループでそれぞれ検討し,第3回の「復興まちづくり方針を考える」につなげようというもの.  可能なかぎり準備にリソースを費やしたが,いかがだったであろう.  ファシリテーターを担当してみて,住宅を現地で再建するか,地区外で再建するかの条件は,資金の目処,が効いてくることは予想していたが,それ以上に,「地域におけるミッション(もしくは役割,プレゼンス,地縁といった用語)」に左右される面もありそうだ,という結果になった点が興味深かった.

 


2008/09/22(月)建築学会広島大会PD:よい復興とは

建築学会広島大会の都市計画委員会PDにパネラーとして出席. 震災復興まちづくり模擬訓練が26地区くらいに広がっていること,この事実をまずはPR,そして実施できた地区にはどのような条件があったのか,を現段階では主観的にではあったが報告し,話題提供とした. aij_2008sep_ichiko01.gif aij_2008sep_ichiko021.gif 討議で応答したことは次の2点. 1点目に,「神戸型復興まちづくりのバージョンアップ」をめざすとするが,9/11に出された遠州鉄道上島駅土地区画整理事業をめぐり,「計画決定段階で訴えることの合理性」を認める最高裁判断もふまえ,具体的にはどのようなことなのか,という質問.2点目に震災復興を不連続点と考えるならば,震災復興を通してどんな再構築があったか,考えられるのか,というパネラー全員に対する質問. 1点目の点については,「計画づくり」に改善の余地がなかったか,という点.すなわち,神戸市で市全域スケールと84条地区(復興事業地区)という構成だったのに対し,事業地区を含む「地区」の単位での「復興まちづくり計画」というプロセスを東京の震災復興マニュアルでは明示し,職員向け図上訓練を実施していること,また,そのような地区の計画を考慮できるとすると,制度的な検討余地として,建築基準法84条もしくは被災市街地復興特別措置法に基づく「建築制限」手法が計画論的にみて改善の余地があること. 2点目の点については「再構築」を被災地のフィジカルな面だけでなく,都市計画を取り巻く法制度,計画システム,なりわいとする専門家,までを対象とするならば,東京の事前復興まちづくりや仮設市街地研究会の活動が,阪神淡路大震災に影響を受けた「再構築」と考えられるのではないか,と応えた. 現在進行形の私の報告と応答であったが,いかがだったであろう.ここ2週間くらい,いろいろと悩んでいたが,懇意にしていただいている先輩の研究者から「かっこいい研究はそうそう,できない.僕たちは前を向いてやっていくだけ」というアドバイスも一つのきっかけとなり,それなりの提起ができたのではないか,と思っている.


2008/06/17(火)Aldrich先生とのセミナー

Purdue UniversityのDaniel Aldrich先生とのセミナーを主催.少人数ではあったが,日頃尊敬する先生や午前の会議後に神戸から参加してくれた若手研究者もあり,有意義な時間となった.

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Daniel先生は政治学(社会ネットワーク論)の立場から,阪神淡路大震災スマトラ津波災害,カトリーナの復興において,社会的関係性が果たした役割について,実証的な研究を進められている.社会的関係性においては,主にRobert PattnumのSocial Capital論が最も参考になっている,とのこと. 私は次のようなコメントをした. 「日常の地域社会において無数にある社会的関係性のなかで,New Orleansのde L'Est Villageにおけるフィリピン系キリスト教団体のような災害後の復旧復興を紐帯する社会的関係性となるのは,どのような性質をもつ関係性と言えるのか.たとえば,東京で言えば,自治会もあれば,PTAや子どもの教育を通したつながり,職場のつながり,そしてインターネット上のつながりなど様々ある中で,どのように災害後の「紐帯の強弱」を推し量りうるのか」 これに関連してDaniel先生は, 「質問の意識に共感します.問題は,どのように定量化(Empilical)するか,という点です.その点では,Pattnumの方法論を私は参考にしています.ただし,災害後の社会組織の特徴としては,災害によって,変化する社会組織,新しく生まれる社会的関係性がある,というダイナミズムにも注意する必要がありますね」 Daniel先生も自分も,なかなかつかみどころのないテーマにチャレンジしようとしている,という点では共通するのかもしれない. "danielseminar08june"


2008/06/13(金)

  若手防災研究者の会の勉強会に参加.  社会科学系分野における地震防災研究の系譜について,伊勢湾台風以降の自然災害をトリガーとして,人的な面,制度的な面でどのような研究の展開がなされたか,まとまった話をお聞きすることができた.  質疑において,私は次のような質問をさせていただいた.  「1978年の大震法で制定された『警戒宣言』について,当時吉井先生は30代半ばで,災害情報の研究者として,警戒宣言というシステムは一つのライフワークのように感じました.その後の日本海中部地震における被害調査への注力や,被害想定手法およびその公開方法の展開をふまえ,『警戒宣言』の運用のあり方や改善について,お感じになられている点はありますか」  これに対し,吉井先生からは,大震法制定時の議論を丁寧にふりかえってくださり,「予知情報と警報は異なるもの」という点を強調された.また大震法のもう一つ重要な点として,東海地震対策区域における国家予算の重点投入という面があったと指摘され,多分に政治力学的な面を防災法制度成立には持っている点をご教示くださった.会場からは,関連して災害大国日本において,大震法のように重点的な国家予算投入を担保する法制度を検証する必要があるといった意見が出され,興味深い勉強会となった.  実は2002年に都市計画学会の防災復興研究委員会の一員として静岡県の震災対策調査に参加したことを思い出した.その時に指摘したのは,静岡県の「トータル・パッケージ」に対して東京における「防災都市づくり戦略」であった(報告書抜粋)が,このような差異(長所と短所)を汲んでいく試みも研究としてやっておく必要があるかもしれない.


2008/05/09(金)地域安全学会「防犯まちづくり企画調査委員会」

 本年度より発足した地域安全学会「防犯まちづくり企画調査委員会」の第1回委員会.
 委員自己紹介程度で終わるかな,と思っていたが,明治大学の山本先生からの話題提供を踏まえ,中身のある議論ができた.
 印象的だったのは「防犯装置市場のマッチポンプ論」.たとえば,マンションなどで監視カメラを設置する管理組合が増えている.不安の解消にはなるが,費用もかかり,「抑止」にどこまで決定打となるのか(犯人確保には有効ですが),検証が必要な事例.
 2007年11月よりお手伝いしている多摩NTのM団地でも,管理組合で同様の議論がある.
 防犯まちづくりに「決定打」はない以上,たとえば「団地内で知り合いでなくても,居住者同士,あいさつなど簡単なコミュニケーションを取る」といった,集住単位での居住者同士のつながり強化をどう図るか,私はそこに「安全まちづくり活動」の一つの足場があるように感じている.

 


2008/03/14(金)首都直下地震防災・減災特別プロジェクト

 2007年度から開始された「首都直下地震防災・減災特別プロジェクト」.第2回目の全体WSに参加.
 グループワークの中で「復興」をテーマに問題を構造化した.グループは復興まちづくり研究に取り組むメンバーで構成されていたこともあり,「どこは構造が共有できる問題であり,どこはできないのか」「構造化でつかみが甘い部分はどこにあるのか」という点をつかむ上で有意義であった.前者は,敢えて説明するほどのことではないのだが「因果関係」として整理できるレベルと,発災後の時間軸上での整理にとどまりそうな問題という意味.
 後者は,たとえばUndesirable Effectとして「復興に対する住民の不満が高まる」が前回WSで指摘されたのだが,「不満」とは少なくとも,
 (1)事業そのものに納得できなかった
 (2)再建された「まち」に対しての評価が低い,違和感を感じている
 (3)補償や助成策に対する不公平感
 といった要素があるだろう,ということ.
 全体議論でも問題となったのは,「都市計画研究者のいう,復興するまち,のイメージがあいまいだ」という点.私がグループワークで発言したのは,この復興水準には,
 (a)最低限満たすべき,まちとしての防災性能
 (b)住宅の水準(規模,相隣環境)
 (c)くらしの水準(日常的な購買利便性,教育環境など)
 があるだろう,これを区別することが大事ということ.

 


2008/01/17(月)西山夘三の計画学−西山理論を解剖するー

 建築学会で開催された研究集会に参加.
 会場は若い学生から,西山研究室出身者のベテランまで,幅広い層で活気に満ちていた.ちょうど「構想計画論」について書きものをしている最中で,報告とディスカッションで,まだ自分がカバーしきれていなかった点を確認できた.

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 写真の左は京都計画1964,右は奈良計画1965

 


2007/12/24(月)墨田区向島訪問

 お世話になっているNPOのみなさんと墨田区向島地区を訪問.佐原さん,小川さん,高原さん,真野さんという最強チームにご案内いただいた.
 小川さんから「一言座」の話しをお聞きし,そういう時代もあったのだなぁ,と感じ,佐原さんから,魅力ある柔軟なまちづくりチームをいかに育てていったか,熱くお聞きした.真野さんからの2000年代の取り組みと課題についてのコメントも印象深かった.
 向島百花園のお座敷から,ほろ酔い加減で帰宅.今年一番の寒さだったとか.
 NPOのみなさま,とりわけコーディネートくださった渡辺さま,ありがとうございました.

 右の写真は改修中の白髭東団地.足場がなんだかデザインフルである.

 


2006/11/24(土)八王子市打越旭が丘団地の地域防災訓練

 復興まちづくり模擬訓練をお手伝いした経緯から,八王子市打越旭が丘団地の地域防災訓練に参加させていただく.
 その盛り上がりに驚いた.200名近い住民が参加していたこともそうだが,「炊き出し訓練」で参加者が生き生きと役割をこなすための工夫,てきぱきとしたやりとり.毎年恒例とは言え「マンネリ」になり,主催者も参加者も疲れを感じるのではなく,地域のコミュニケーションの場として有効に機能していたように思った.
 11/3にお手伝いした集合住宅のコミュニティといい,ここ旭が丘のコミュニティといい,八王子には「住みたくなるまち」が多いなぁ.

 


2006/11/12(月)石田頼房先生と囲む会

 都立大石田研同窓生とTMU都市と住宅を考える会の共催での開催.
 貴重な機会に出席させていただいた.
 東京都の復興図上訓練に対して感じていた疑問を掘り下げる糸口を得られた気持ちがした.すなわち,

 住民参加で具体的なまちづくりのプランをつくって行くためには,ただ具体的な計画構想を提示し,住民との討議に時間をかけるだけではなく,共同でやることによって,より良いプランのまちができるという仕組み・制度をつくることが大事

 という指摘で,復興図上訓練に即して言えば,「被災した地域において,一人でも多くの住民の参加と連帯を可能にする『しくみ』をプランと同時に組み立てること」である.それにしても,学部4年生のときに「構想計画」に関する西山ー石田対談を読んでいたのだったが,その読み方がいかに甘かったか・・・.
 懇親会にて,先輩から,限られた研究者人生の中で,いかに仕事を「選ぶか」が大事とのご指摘をいただく.これについても目から鱗が落ちるような気持ちになった.

 


2007/11/09(金)練馬区事前復興対策Project

 2006年度から2カ年かけて,練馬区の震災復興マニュアル策定のお手伝いをしている.昨年度は桜台地区での震災復興まちづくり模擬訓練を実施しつつ,練馬区の「地域協働復興のかたち」を現場で考えた.
 今年度になって,まずは「行政職員向けマニュアル」として文案作成に従事してきたが,最近になって,区役所内の調整作業のペースが大幅にアップ.60万区民のお役に立てれば,普段直接的な役に立たない研究者にとって,こんなにうれしいことはない.

 


2007/11/03(土)郊外集合住宅における子どもの安全まちづくりの可能性

  多摩ニュータウン内にある150世帯の分譲集合住宅団地を対象に,「子どもの安全探検まっぷづくり」をおこなった.
 団地管理組合メンバーの熱意とセンスある心遣いと,建築家,犯罪社会学専門家の支援がマッチし,参加してくれた小中学生の1人1人がすてきな笑顔と元気に最後の発表をしてくれたことで,お手伝いできてよかったな,と思った.
 ひみつ基地が3つもあったり,ジェットコースターとして利用されている芝生の通路があったりと,参加者間で共有できた点も少なくなかった.これは子どもの目線と大人の目線の相違という図式である以上に,「参加」という場があってこそ共有できた点であることを強調したい.

 


2007/10/15(月)中越地震三周年と山古志村災害公営住宅訪問

 2004年10月23日の地震からもうすぐ3年.中越地震の復興の実態を知るため,現地踏査と復興に関するシンポジウムに参加した.
 シンポの議論では,わが国の復興が,復旧として道路など生活基盤の工事が進み,復興住宅など新たな基盤設備が整備された後,被災地域の住民と周辺・周縁の市民との「復興を目標とした多様な営み」によって,その空間を使いこなしていくこと,生活を合わせていくことに宿命づけられていないか,という指摘.また,家族を単位とした地域コミュニティ活動から,個人を単位とした領域へ広げていけるか,という点が印象に残った.
 旧山古志村の復興公営住宅における,建物によって囲まれた中庭空間が印象的だった.一人暮らし高齢者が少なくないであろう公営住宅で,個人を単位とした地域のつながりを担保するために,こういった空間上の工夫はもっと重視されてよいのではないだろうか. 

 


2007/05/26(土)三宅島と復興と

  三宅島は2000年8月の噴火で全島民が島外へ避難,有毒ガスの噴出が続き2005年2月まで4年6ヶ月にわたる全島避難を余儀なくされた.今回,地域安全学会の発表会で初訪問となった.
 「揺れるぞ?」と聞いていた船旅も,往路は平穏,復路はやや波が高かったものの,座席シートに身体をあずけてウトウトしていたら,悪酔いすることもなかった.
 三宅島の印象を一言で言えば,島の社会も,自然景観も,そして1人1人の島民も,すべての側面で火山に対峙する空間,というものであった.
 26日のシンポジウムで平野村長は「(空港整備など課題はあるが)ハードからソフトへのギヤーチェンジの時期かなと感じる」と発言されていた.今回,直接島民の方々と話しをする機会は取れなかったが,雑談する限りでは,1人1人は実直な人間という印象を受けた.たった1日半の滞在で発言するのは差し出がましいと思いつつ,全島避難に見せた力強いリーダーシップを,1人1人の「自立」という視点も加えてより豊かにしていくギヤーチェンジを,僕は願った.

 


2007/04/08(日)川の町・横浜展

  横浜開港資料館で開催されている「川の町・横浜展」へ.
 旧横浜市役所と派大岡川の景観,高速道路建設前の中村川の船溜まりなど,はじめて写真でイメージを広げることができた資料も少なくなかった.
 印象的だったのは,さりげなく「中心市街地(関内・関外)活性化基本計画2001年,横浜市都市計画局」の整備方針図が飾られていたこと.ここでいう「中心市街地」とは,現在,観光中心スポットである水際線だけでなく,中村川大岡川の分岐点である蒔田公園までを含むものである点に改めて注意を払いたい.カヌーフェスティバル,大岡川流域まちかわ衆の活動や,蒔田公園の再整備WSとその後の取り組みといった長年にわたり活動されている方々の姿を思い出し,横浜方式のまちづくりに思いを馳せた.

 


2006/09/04(月)ガラとメタボリズム

 上野の東京都美術館で開催されている「Musee d'Orsay」へ.
 ミレー,モネ,シスレーといった印象派の風景画を初めて見,写真では感じられない色彩が発する印象に興奮.なかでも,フランソワ・ガラの「Temples pour les religions futures」,その青い深淵な色彩に圧倒された.
 美術館を出て,まだつぼみになりかけの上野公園の桜を見ながら,不忍池へ.菊竹清訓「ソフティル東京」.メッセージ性と建築単体の機能性から見れば,それほど悪くないのでは,と思ったが,ガラのように「実現しなかったプロポーザル」の方がメッセージ性が強く感じられる,ということもあるのかもしれない.それは芸術としての建築がもつ社会性の特徴だろう.


2006/12/22(金)京島まちあるき

 高見沢邦郎先生の大学院授業におじゃまさせていただき,曳舟駅の再開発現場を経由して,京島地区へ.まちづくり公社の中島さん,石川さんに大変お世話になる.


2006/11/11(土) 港北ニュータウン

 あいにくの雨の一日だったが,「都市と住宅を考える会」の研究会で港北N.T.へ.川手昭二先生から港北ニュータウンの形成と地域社会の成熟について話を伺える大変貴重な機会となった.
 川手先生の話を聞き,小雨の中を現地見学して,印象に残ったことが2点ある.
 1つは,計画,開発,入居,住みこなし,とそれぞれのステージにおいて,キーとなる主体が重なりあいながら交代してゆき,開発事業終了後の現在,地主,入居住民,横浜市役所の地域協働体制にソフトランディングできていることである.
 2点目に,マスタープランの重要性である.川手先生は公団から筑波大学へ奉職される際,職場で作成したマスタープランがあるが,その後6回ほど書き換えられたという,そして事業終了後の現在でも,NTのマスタープランはプランとしての価値をもつものが現存し,保留地が売り出しに出る際には,そのプランを一つの根拠に,地域住民でつくる「水と緑の委員会」が,たとえば,ここは公園が不足しているので,スポーツに関連する民間業者を優先してほしい,といった要請をするとのことであった.
 研究会をコーディネートいただいた加藤先生,大竹さんはじめみなさま,ありがとうございました.

 


2006/10/29(日)八王子市旭が丘団地復興模擬訓練

  昨夜は雨でひやひやしたが,青空も見える快晴.
 京王線北野駅から10分くらい坂を登ったあたりにある旭が丘団地で 半日かけて,地域住民,八王子市役所職員とまちあるきWS.
 ここは1964年(昭和39年)に宅地造成された住宅地で,「坂と和のあるまち」とは,地域住民で考えた地域の特性.
 地域,市役所,大学,とそれぞれの特性がうまくミックスして,よい場になったと思う.
 個人的には,中古で宅地を購入している方も少なくないこと,小さな地震が起きたらよう壁もチェックしてみようという声が出されたこと,そして何より,さまざまな年齢層から参加のあった地域の熱意に文字通り,「圧倒」された.
 まちづくりのおもしろさは,こういう,現場で知的好奇心あふれる「会話」をするところにある,と改めて思った.
 八王子市都市計画室のみなさん,地元の町内会長さんはじめ参加されたみなさま,本当におつかれさまでした.

  

2006/09/04(月)ISTANBULっ子たちの夏の休日

  調査も一休み,サバサンドを食べに散歩にでも.
 タクシム広場から15分ほど下ると,ボスフォラス海峡に出る.ドルマバッチェ宮殿のあたり.釣りに講じるお父さんと子どもたち,そして木陰でチャイを片手に見守るお母さんたち.
 暑い休日だったので,海で泳ぐ人たちも.
 住んでいる人たちの休日の過ごし方を見ているのは,なぜか落ち着くもの.この日,本当は電車に乗って,空港近くのショッピングモールをめざしていたのだが,ぼんやり過ごしていたら,時間がなくなってしまった.

 

2006/08/27(日)Adapazari郊外復興恒久住宅地

  ここは4000戸の住宅が建設されたAdapazari中心部から西北へ15kmほど郊外の新規開発住宅団地Karaman.丘の向こう側に見えるのはCamlli地区と呼ばれる地区である.
 多摩NTもできた当初はこんな風景だったのだろうか.

 


2006/08/26(土)Adapazari中心街の復興状況

 1年ぶりにTurkey,Adapazari中心部,Cark通りを現地調査.写真左手,2階建てで屋上に日よけのある建物が再建建物.Adapazari中心部は2階建て制限が実施され,再建建物はすぐに判別できる.
 地震後,10件近く建物再建オーナーとなる実業家に出会い,インタビューをした.震災からの再建を通して,Cark通りがモダンになったことは確かだ.人通りも大変多く,にぎわっている.歩いていて,2週間前に調査で訪れた,山形県酒田市と比較したくなってきた.


2006/05/13(土) ペットと仮設住宅でくらす

長岡NT内に建設された応急仮設住宅を視察.
長岡造形大学で開催された中越地震1年半復興祈念シンポに出席.


2006/03/29(火)スギの森より

伊勢神宮のスギの森にて,しばし充電.
花粉症じゃなくてよかった
今回,式年遷宮のしくみを初めて知り,150年前の土蔵をワインバーにコンバージョンした河崎町「珠家」にて,もの想いに耽った.案内してくれた現地の人のよさに,心がなごんだ.